40歳初産で自宅出産を経験。実は赤ちゃん自身が「自宅で生まれる」と決めていたから!?
子どもたちが幸せでいるためには、まずママ自身が幸せでなければ……。一生懸命に子育てをしているママたちの力になりたいと思い、学んだヒプノセラピーを活かして、ミニセミナーを開くなど、活動をスタートしました。
なぜ私が『ヒプノ赤ちゃん』プログラムを多くの方にお伝えしたいと思っているのか……それを語るには、13年前の出産体験からお話する必要があるでしょう。
私にとって、初めてで唯一のお産は40歳の時でした。妊娠初期の頃、出産場所をどこにしようか決めようというときに、あれこれ考えました。まず、分娩台で大股開きになるあの体勢には、どうしても抵抗がありました。
男性ドクターは絶対に恥ずかしい。では女の先生、いや助産師さんがいいかも……。
そしてふと、こう思ったのです。
「赤ちゃんはどう生まれたいのかなぁ?」
どうみても分娩台の上に横になって産むというのは、重力に逆らっているわけで、産道を通ってくる赤ちゃんにとっても不自然なんじゃないかと思いました。それに、子宮の薄暗い中で長いこと過ごしてきたのに、いきなり明るいライトを当てられる状況も、きっとビックリするに違いないだろう…と。
分娩台は絶対に避けよう!となると選択肢は限られてきます。当時、院内助産院というものは今ほどなく、高齢出産のリスクもかえりみず、助産院で産もうと決めたのです。40歳で初産なんて一般的にリスクが大きいと言われていますが、不思議と「何かあったらどうしよう?」とは思わなかったんですよねぇ、ノーテンキなことに。
ネットで検索し、車で10分ほどの距離にある助産院にお世話になることにしました。ベテラン助産師さんのアドバイス通り、食事に気をつけ、お腹の赤ちゃんにしょちゅう声をかけ、毎日のように散歩をして、とにかく安産を心がけていたのです。ところが……。
夜中の3時頃、いよいよ産まれるプロセスが始まりました。何分かおきに、下腹部に寄せてくる「波」(ヒプノ赤ちゃんでは陣痛と言わず「波」「波動」と表現します)を受け止めては、吐く息と共に逃す。その繰り返しで、お産が穏やかに進行していきました。ほとんど眠らないまま朝を迎え、痛みはそれほど感じることなく過ごしていましたが、9時を過ぎたあたりから、波と波の間隔がかなり短くなってきました。
「そろそろ産院へ移動した方がいいかな」と夫と相談しながら、助産師さんに電話をすると、「まだ(声に余裕があるから)大丈夫ですね」と言われました。
「ん?かなり下がってきてる気がするんだけど。そんなものかなぁ」と思ったのですが、ではもう少しこのまま--とお腹をさすりながら、痛みのようなうずきのような感覚を逃していました。
そうこうするうちに、気づいたときにはもう、産道を通ってきた赤ちゃんの頭が触れられるくらいの状況に到達していたのです。「フ~」と大きな息を吐き出したタイミングで、するりと赤ちゃんは誕生してきました。 49cm/2600gと小さくて、手足がほっそりとした男の子でした。
助産院で産むとばかり思っていた私にしてみれば、その状況は青天の霹靂、突発的なアクシデントであり、「なんでこんなことに」と少なからずショックを受けていました。正直、何をどう行動したやら、よく覚えていないのですが、「ビックリしたよね、ごめんね、ごめんね」と何度も赤ちゃんに謝っていたような…。
よく考えると、ビックリしたのは私の方で、赤ちゃんは実はマイペースで生まれてきたわけです。
ただ、初めて抱き上げて目と目を合わせた時の、我が子の凛々しい表情は、今もなお脳裏に鮮明に焼き付いています。赤ちゃんは生まれたら「おぎゃー」と泣くもの、生まれてしばらくは目が見えていない、なんてウソウソ。泣くどころか、とても落ち着いていて、ぱっちりと見開かれたその瞳で、何かを一生懸命に語っているように感じられたのです。
「やっと会えたね。よろしくね〜」「無事に生まれてきてくれてありがとう!」
妊娠中、毎日話しかけていましたから、私の声も夫の声もちゃんと認識していたはず。話しかけるたびにじっとこちらを見つめ、ちゃんと受け止めている様子で、「うわ〜この子はすべてわかってるんだ」と感動しました。同時に、なんとも美しく崇高なものに触れているという、不思議な感覚がしていました。
後から振り返ると、息子が無事にすんなりと生まれることができたのは、奇跡がいくつも重なってのことでした。でも、どうやら本人が決めているんですよね。どこでいつ生まれるか、どのようにして生まれるかということも…。
息子は日常生活を送る空間で、夫婦二人だけが見守る中、この世のスタートを切りたかったようです。
あの日、小さく生まれてきた息子は、現在、中学1年生で、165cm/50kgに成長しています。13年なんてあっという間。今になって改めて思うのは、彼自身の意志が人生をスタートする瞬間から働いていたのだということ。
つまり第三者の手を借りず、自力で生まれたかったのでしょう。
彼の個性と言える、自己主張の強さ、「自分は絶対こうする」という意志の強さは、まさに生まれた状況を振り返ると納得できるのです。
また、「誕生の瞬間、パパに取り上げてほしい!」と息子が強く望み、夫はそれを魂レベルで同意していたのでしょう。中学生という多感な時期に突入したいま、スポーツ選手を志す息子とそれをサポートする父という、意外な関係性が展開。ますます父と子が密に時間を過ごすようになっています。
その意味で、二人はそれこそ前世からの深い縁で繋がっていることが感じられるのです。(^ ^;
私にとって「40歳の高齢で自宅出産」という貴重な体験は、まさに人生のギフト。『ヒプノ赤ちゃん』に出会うまでは、正直なところ、ずっと心残りがありました。ちゃんと対応してたら助産院にかけこめたのでは?…と。
ですが、今ではあの流れが完璧で、必要なことだったと実感しています。アクシデントではなくギフトとして受け取ることができたのも、宇宙の視点で自己肯定ができたから。
この体験があったからこそ、これから出産を迎える女性の皆さんに、出産のプロセスを知っておくことの大切さや、お腹の赤ちゃんと胎話できることのメリットをお伝えしたいと強く思えるのです。
もしも私が当時、しっかりとお産の知識を持っていたら、もっと冷静に対応できたでしょう。お腹の赤ちゃんと胎話していたら、「家で生まれたいよ」という本人の希望をキャッチして、最初から自宅出産の準備を整えていたんじゃないかな。
出産は一生に何度もない、女性にとって大きな出来事だからこそ、最高の体験をしていただきたい。ひとりでも多くの方に『ヒプノ赤ちゃん』で幸せなお産を味わっていただきたいと思っています。